あの人は今こうしている のむらしんぼ(漫画家)
2008年10月4日 コラム本日0720ごろに若旦那夫妻が臨店。
お祭り多いね。
TVアニメ見てたよ。
あのバブル全盛期だったからこそ成立する作品かもしれん。
そのつるセコ魂は現代に必要なのかも。
この頃は他にも「のんきくん」とかあったなぁ。
方倉陽二さんはお亡くなりになってたようで…。
さて、OO見るかね。
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お祭り多いね。
1985年から約10年間、小学館の月刊漫画誌「コロコロコミック」などにチビでハゲでドケチ、というぶっ飛んだ小学生を主人公にしたギャグ漫画が連載された。「つるピカハゲ丸」だ。テレビ朝日でアニメも放送されていた、この人気漫画の作者、のむらしんぼさん、今どうしているのか。また懐かしいものが出てきたねぇ。
●「『ハゲ丸』の連載を終えて10年くらいはもがき苦しみました」
会ったのは西武池袋線江古田駅からすぐの喫茶店。のむらさん、漫画の主人公“ハゲ丸”と違い、髪が薄くないどころか、白髪もなく、いや、若い。
「『ハゲ丸』はボク自身がモデルじゃないですから。若く見えるのは、ボクの頭の中が小学校5年生のままだからですよ、ハハハ」
やはり、今も少年漫画を描いているのか。
「大人向けの漫画を描いたこともあります。でも、ボクには子供向けの方が合ってるみたい。2本あった連載は、今年1月で終わっちゃいましたけどね。ひとつは別冊コロコロコミックに、ソニーのプレイステーションゲームを漫画化した『ラチェット&クランク』というアクション・アドベンチャーものを、4年くらい描いていました。もうひとつはコロコロイチバン!に、『ダジャ拳だじゃ丸』ってギャグ漫画を2年。今は次の作品に向け、構想中です」
がんばってるなあ。
「『ハゲ丸』の連載を13年前に終えてから、10年くらいはもがき苦しみました。連載が終わったちょうどその年、おじいちゃん、オヤジ、おばあちゃん、オジサンと立て続けに死んだこともあったし、『ハゲ丸』を超える作品がなかなか描けなくて」
「ハゲ丸」は経済的に助けてくれなかったか。
「今も助けられてます。CS放送とか、海外だと韓国でテレビアニメが放送中です」
のむらさんは似顔絵描きのアルバイトをしていた立教大学3年のとき、弘兼憲史に声をかけられ、アシスタントに。翌年、「ケンカばんばん」で小学館新人コミック大賞に入賞してデビューを飾り、29歳から連載を始めた「つるピカハゲ丸」は、全25巻で500万部と大ヒットした。
「500万部で大ヒットなんて、笑われますよ。それに『ハゲ丸』がヒットしたのはバブルの頃で、6500万円でマンションを買ったらバブルがはじけ……、売りました。お酒も好きだし、子供も3人いて、印税はカタチでは残ってませんね」
4年前に離婚。江古田駅から徒歩5分の賃貸マンションにひとり暮らしだ。
「仲人の弘兼先生と柴門ふみさんに、別れたことをなかなか報告できずにいたら、先生の方から連絡をいただきました。ホント、先生はやさしい。先生の弟子だったとき、ボクら弟子をときどき飲みに連れて行ってくれて、帰ってボクらを寝させて、ひとりで起きて漫画を描き、締め切りに間に合わせるような人でした」
あの人は今こうしている のむらしんぼ(漫画家)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=627409&media_id=10
http://gendai.net/?m=view&g=geino&c=070&no=26011
TVアニメ見てたよ。
あのバブル全盛期だったからこそ成立する作品かもしれん。
そのつるセコ魂は現代に必要なのかも。
この頃は他にも「のんきくん」とかあったなぁ。
方倉陽二さんはお亡くなりになってたようで…。
さて、OO見るかね。
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