政考「さぁ、みんなで考えよう!」
2009年1月2日 コラム「ムーンライトながら」臨時列車化へ以前から危惧されてましたが、ついにながらも臨時扱いが決定したようです。
大衆的鉄道文化の終焉を惜しむ
東京~大垣駅間を結ぶ夜行快速「ムーンライトながら」。かつて「大垣夜行」と呼ばれたこの終夜列車は鉄道ファンのみならず、多くの日本人にもお馴染みの列車である。特に青春18きっぷ(季節限定でJRすべての普通列車・快速列車が1日中乗り放題になる切符)のシーズンは、多くの旅行客で溢れ返ったものだ。
しかしJR東日本とJR東海は、本年度末(2009年3月14日)をもって「ムーンライトながら」の定期運行を取りやめ、多客期のみの臨時列車とすることを決定した。それは近年になってブルートレインなどの長距離夜行列車が相継いて廃止されていることとも何らかの因果関係がありそうだ。今回はいち鉄道ファンの偏った意見だけではなく、客観的視点から見た利用状況、並びに社会的背景を覗いてみよう。
・「ムーンライトながら」の人気はコストと快適性
「ムーンライトながら」は、青春18きっぷのシーズンが近づくと指定席券が早々に売り切れてしまうことで知られている。JRの規定では、指定券の発売は乗車日の1カ月前と決まっている。まさにその1カ月前の午前10時過ぎにはもはや指定席券が取れないという人気ぶりなのである。
この人気を支えているものは2つある。「ムーンライトながら」ならではの安い移動コスト、そして快適性である。
青春18きっぷは5枚綴りの販売で、1セット1万1500円だ。つまり1枚のチケットは2300円。切符の有効期間は改札を通った日の夜12時までなので、日付が変わる小田原駅までの乗車券として1450円(東京駅から乗車する場合)、そして座席指定券の510円の合計4260円で大垣駅まで座って行ける。
その後も普通・快速列車を乗り継げば、驚くことに当日中に(つまり1円も追加料金を支払うことなく)熊本まで到達できるのだ。東京~熊本間の片道乗車券は1万4700円もかかることを考えると、4260円は破格の値段である。
また「ムーンライトながら」はJR東海の特急型車両を使用しているため、乗降口は車両の両端にしかない。だから夜風に晒されることもない。更にリクライニングシートまで備えているので、まったく快適な一夜が約束される。つまり「ムーンライトながら」はこれだけの安い料金で(青春18きっぷを使うことが前提だが)、素晴らしいサービスを誇る名列車なのだ。
惜しむらくは、乗客で溢れ返るのはまさに青春18きっぷの利用期間だけだということだ。期間以外となるとその利用状況は惨憺たるものである。一つの車両に数人程度ということも珍しくはなく、さながら空気を運ぶだけの回送列車のようだ。
・「ムーンライトながら」を本当に必要としている人の声はJRに届いているか
このような状況になった背景には、やはりJRによる新幹線への意図的な乗客の誘導がある。なにしろJR東海は東京~新大阪間を最速2時間25分で結ぶ新型車両のN700系を持っている。こちらのほうが顧客単価は数倍も高いし、輸送力だってケタ違いだ。効率からすれば夜行列車の存在意義などなきに等しい。「4000円かそこらのはした金で熊本まで行かれてはかなわん」といわんばかりだ。
いや、JRの考えもわからないではないのだ。夜行列車というものは深夜に停車する駅にも業務が生じるため、合理化の妨げになる(これは同じ時間帯に走る寝台列車にも当てはまる。長距離を走るために遅延しやすく、朝の混雑する電車のダイヤにも影響を及ぼすという致命的な弱点がある)。
また、前述した「ムーンライトながら」ならではのメリットにしても、こと「ビジネス用途」という視点で見ると微妙になってくる。京都・大阪まで行ってくれるのならまだしも、終着駅は大阪まで150kmもある大垣駅だ。しかも到着時間はまぶたも重い早朝だ。「だったら新幹線で行こう」「安くあげたいなら片道5000円の夜行バスでいいや」となるのは自明の理である。
これは、近い将来にリニア新幹線の開通を見込んでいるJR東海にとっては「渡りに舟」といったところだろう。リニア新幹線の開通コストは、一説には5兆円ともいわれている。JR東海としては、短時間で高収益が得られる新幹線へと乗客の流れを振り替えることで、いささかでも資金を確保しようという思惑があるのだと思う。
それはそれでいい。ただし私が問題だと思うのは、その思惑があまりにもあからさまに見て取れるということである。「ムーンライトながら」が本当になくなったとして、では貧乏な学生や所得の低い若者がようやく里帰りを得る機会を得たらどうか? そこには大金を払って新幹線に乗るしかないという状況しか私には思い浮かばないのである。
普通列車を乗り継いでいけばいいって? しかし、仮に東海道本線の普通列車に乗ると、東京~大阪間で6回以上の乗り換えを要する(東京駅を出る時間帯によって多少異なる)。だから鉄道ファン以外にとってはあまり現実的な手段ではない。
つまり「ムーンライトながら」を臨時化しようというJR東日本・東海には、純然たる利用者である「お客様」の声は届いていないのだ。ましてや私のようなや生産性のない気まぐれな旅人の気持ちなど、端(はな)から考えようとする気持ちなど持ち合わせてはいまい。これが公共交通事業者としての使命よりも、営利目的を優先させようとする一企業の姿だ。
・経済効率を優先して鉄道網を軽視すると国が滅びる
私は近い将来、日本中の赤字ローカル線が廃止になり、大都市間を結ぶ新幹線とその周辺地域の通勤電車しかない鉄道になってしまうことを危惧している。これは地方の過疎化を更に進行させ、いずれ日本全体の国力を衰退させてしまうと考えている。誇張と思われるかも知れないが、明治時代の文明開化以来、この日本という国の繁栄と経済成長は鉄道が造った歴史に他ならないからだ。
話は変わるが、私は全国の田舎に点在する、利用者の少ない「秘境駅」を訪ねて旅をしている。現在は広島に越してしまったが、東京に住んでいた頃は「ムーンライトながら」は旅行プランの本丸としてしばしば利用したものだ。当時は自由席があり、ハイシーズンにはあまりの混雑にデッキへ追いやられたが、自然と周りの鉄道ファンと親しくなり、豊橋や名古屋までの時間があっという間という楽しい時間を過ごした。
一日の会社が終わって東京駅に着くと、いつもの列車が待っていてくれる。ビールとつまみを片手に乗り込めば、まるでそこは我が家のように暖かいソファーみたいな座席があった。発車して暫くすると、並行して走る京浜東北線の乗客と思わず目が合う。彼らは家路、私は旅先。大衆列車ではあったが、奇妙な優越感さえ覚えたものだ。そんな思い出が詰まった列車が消えて行くのは、やはり寂しい。
時代の流れとは、人々の心と裏腹な方向へと突き進む運命なのであろうか? 次の世代を担う鉄道ファンに向かって「その昔、夜行列車というものがあってな」「とても混雑して疲れたが、その先に待っていた線路を乗りつぶすのが何よりも楽しかった」などと、懐かしそうな顔をして話している自分の未来が、少しばかり曇りがちに見え始めて来ている…。
牛山 隆信(うしやま・たかのぶ)
1967年生まれ。サラリーマンと並行して旅行作家としての活動を続ける。「秘境駅」(深い山奥や無人の原野に存在している利用者の少ない駅)という言葉の考案者。現在も積極的に秘境駅を訪問して記録を取り続けている。著書は『秘境駅へ行こう!』(小学館文庫)など多数。
http://event.media.yahoo.co.jp/nikkeibp/20081224-00000000-nkbp-bus_all.html
http://event.media.yahoo.co.jp/nikkeibp/20081224-00000000-nkbp-bus_all.html?p=2
http://event.media.yahoo.co.jp/nikkeibp/20081224-00000000-nkbp-bus_all.html?p=3
http://event.media.yahoo.co.jp/nikkeibp/20081224-00000000-nkbp-bus_all.html?p=4
夜行列車が次々と消えていく中、廃止を免れたのを喜ぶべきなのか、臨時に格下げされたのを悲しむべきなのか、悩ましいところではあります。
まぁ確かにこの列車の最大のメリットは18きっぷ使用時期にあるからねぇ。
有効期限24時間をフルに活用できるし、終点の大垣着は06:55。
東京発が23:10だから乗車時間は7時間強ある。
寝ることも十分可能だ。
確か、以前計算した時のデータだけど、このまま乗り換えオンリーで行った場合…
大阪:9時
岡山:12時
高松:13時半
広島:16時
くらいにに着く事が可能。
まぁ、新幹線使えばもっと早く着くだろうけど『価格』と云う観点でいけば、コレに勝るものは無い。
特にお金の無い学生ともなればね。
さて、本題に戻ろう。
>「ムーンライトながら」を臨時化しようというJR東日本・東海には、純然たる利用者である「お客様」の声は届いていないのだ。ましてや私のようなや生産性のない気まぐれな旅人の気持ちなど、端(はな)から考えようとする気持ちなど持ち合わせてはいまい。これが公共交通事業者としての使命よりも、営利目的を優先させようとする一企業の姿だ。
単純な利用者の考え方からすると
ながらが臨時化
↓
ながらが使えないならばと、安さを求めるならば夜行バスの利用
↓
結果として顧客減につながる
子供でも分かる簡単な図式だ。
それに安さだけではない。
鉄道ファンなら分かるかもしれんが、夜行列車には「旅情」と云うものがある。
これは、地方ローカル線を鈍行に揺られながら景色を眺める「旅情」とはまた別物である。
特に寝台列車を牽引する電気機関車の、暗闇に響く「ピーッ」と云う警笛と、闇に流れる車窓の明かりに魅せられたファンも少なからずいるだろう。
大げさに云うならば、日本鉄道の宝とも云うべき光景だ。
これらが『合理化』と云う名目で次々に廃止に追い込まれていくのは、まさに営利目的と云わざるを得ない。
一応断っておくが、私は別にJRを批判するつもりは無い。
確かに営業収入は大事だから、採算の取れないものを止めていくと云うのは、コレは当たり前のことだ。
しかし、利用客あっての鉄道。
あまり営利に走りすぎると、本質がおろそかになっていってしまうのではないかと思う。
鉄道とは、単に人や物を運ぶだけではなく、夢やロマン、旅の思い出や車窓から流れる風景と云った「形」にできないものも一緒に運んでいるのだと言うことを忘れないでいただきたい。
…何か論文みたいになってしまった(汗)
こんなの俺じゃねぇ(笑)
とりあえず、第10次太平洋ベルト旅行は3月27~30日の予定だが、帰路は29日発のながらのつもり。
流石にこの時期は運転されるよね?
20-8 ・ 20/90
コメント