<天皇杯:清水2-0千葉>◇4回戦◇17日◇アウスタ

 今季最後のアウスタで清水がJ2千葉を下し、7年連続8強入りを決めた。前半攻めあぐねながらも、後半4分にFWアレックス(28)の左ミドルで先制すると、同17分にはFW伊藤翔(23)が2戦連続ゴールで突き放した。MF小野とMFユングベリを先発に欠きながらも、MF杉山浩太(26)らが躍動。天皇杯通算勝利数も51勝とし、Jクラブでは単独2位に躍り出た。

 汚名返上に時間はかからなかった。清水は無得点のまま迎えた後半開始早々、ビッグチャンスをつくった。DF平岡のロングボールに、FW高原が走り込んで絶妙なマイナス方向へのパス。そこに走り込んだのがFWアレックスだった。完全フリーの状況で、放った右足シュートは枠を大きく外した。利き足ではないとはいえ…。選手もスタンドも頭を抱えた直後だった。アレックスが約25メートルの左足弾丸ミドルを突き刺した。

 わずか50秒後に起きた、明らかに難易度の違うスーパーゴールに、選手から総出で「さっきの方が簡単だろう!」とツッコミが入った。日本流の? 祝福を受けながらもアレックスは動じない。「みんな喜んでくれたよ。岩下がなんか言ってたけど覚えていないよ。『メリークリスマス』って言ってたんじゃないかな」と、オーストラリア風の? ボケできれいに切り返した。

 中心選手を欠く中での快勝を、陰で支えたのはボランチとして攻守に走ったMF杉山だった。前半10分にスライディングでカウンターの芽を摘むと、優勢となった後半22分にはスルーパスでチャンスをつくった。終盤は足をつりながらも今季2度目のフル出場。「前半耐えて後半いける余裕がどこかであった。伸二さんとフレディー(ユングベリ)がいなくても、アレックスとエダ(枝村)が代わりと言うには失礼なくらいのプレーをしてくれた」と仲間をたたえた。

 これで8強が決まりG大阪を上回る天皇杯2位のクラブ通算51勝目を挙げた。リーグ終盤3連敗で失速したチームが、最後のタイトルに向けて再び勢いを取り戻してきた。

清水7年連続8強入り/天皇杯
http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20111218-878092.html
前半がかなりいいようにやられてたみたいだが、後半の盛り返しで見事に勝利。
J2相手に勝って当たり前かもしれんが、ゴトビ監督のコメントにあるように格下のチームとやると油断が出来るし、格上のチームとやる時は最初から高いモチベーションで望む。
たとえJ2所属とは云ってもそうカンタンに勝てはしないと云うことだ。
まぁ後半はそんな不安を払拭するような内容だったみたいだが。
と云うか、天皇杯では通算勝利数単独2位なのか。
初耳だ。
そして今までの2位はG大阪だったのか。
多分1位は鹿島かな。


他会場に目を向けると、まず丸亀で行われた試合で京都が鹿島を破るという事件が。
ゴトビ監督のコメントみたいに、そこにスキができたか?
横浜FMと松本山雅と云う事実上、故:松田直樹さんの追悼試合は4-0でマリノスが勝利。
この試合は結果は元より、マリノスサポからすれば追悼試合といった意味合いが強いのでは?
松本山雅は来年からめでたくJ2入りが確定したので、松田さんの願いは少し叶った訳だ。
そこからJ1に上がるのも至難の業だが、松田さんの遺志を継いで頑張って欲しい所だ。
それにしても準々決勝進出チームに京都・湘南・FC東京と、J2所属チームが3つあるというのもすごいな。
組み合わせ上、湘南-京都と云うカードになってるので、どっちかのチームはベスト4に進むわけだ。
J2でベスト4に進むと云う偉業を達成できるのはどちらのチームか。

さて、清水の準々決勝は長居スタジアムでC大阪。
完全アウエーと云う厳しい状況だが、伸二もユングベリも復帰するみたいなので戦力的には問題ないな。
準決勝に弾みをつけられる勝ち方をして欲しい所だ。



22-8 ・ 20/70



ついでに
マリノスと山雅、新たな物語の始まり=天皇杯漫遊記2011

■「なぜ富山?」という疑念を払しょくさせた光景

 試合前日、東京から上越新幹線に乗って越後湯沢で下車。特急はくたかに乗り換えるべく、薄暗いホームを移動しながらふと見上げると、たっぷりと冷気を含んだ冬の夜空に雪が舞っているのに気が付いた。そして、今さらながらに思った。「なぜ富山だったのだろう?」と。翌17日の天皇杯4回戦。J1横浜F・マリノスと長野県代表・松本山雅FCのゲームは、なぜか富山で開催されることとなった。横浜FMと松本との因縁については後述するとして、まずはこの開催地決定について言及しておきたい。

 当初、会場が富山と決まったとき、どちらの関係者も「?」という想いが強かったはずだ。横浜から富山までは列車で4時間。同じ「北信越」のくくりである松本からでも3時間以上はかかる。どちらにとってもアクセスはよろしくない。そもそもこの時期の日本海側は、そろそろ雪が降ってもおかしくない(実際、今シーズン最初の平地での降雪となった)。交通マヒのリスクや雪かきのコストなど、運営面で余計なプレッシャーを背負いこむことになるのは目に見えていたはずだ。「富山の人たちにも天皇杯を」という理由も分からないではない。が、会場の富山県総合運動公園陸上競技場では、すでに天皇杯1回戦と2回戦が開催されている。あえてこの時期にやる必然性は、どこにあるというのか?

 そんなことを考えながら試合当日、富山駅前から出ているシャトルバスに30分ほど揺られて会場に到着。すぐさま、それまでの考えを軌道修正しなければならないことに気が付いた。というのも、富山県サッカー協会が総力を挙げて、懸命に雪かきをしている様子を目の当たりにしたからである。

 特に主力となっていたのが、地元の高校生たちだ。彼らはビニールシートに雪を集め、それをコート外に運び出す作業を黙々とこなしていた。いやむしろ、キックオフを楽しみにしながら笑顔で作業していた、という印象のほうが強い。少なくとも、そこに「やらされている感」は微塵(みじん)も感じられなかった。結局、キックオフ1時間前の12時には、コート内の雪はあらかた除去されていたのである。「恐れ入りました」としか言いようがない。この試合で使用された、オレンジ色のボールの調達も含め、主催者側の雪対策には、まったく抜かりはなかった。富山開催の是非はともかく、この試合が素晴らしいものになったのは、とにもかくにも富山のサッカー関係者の尽力によるものである。そのことについては、この場を借りて御礼申し上げたい。

■オリジナル10に挑む40番目のJクラブ

 さて試合当日、私が最初に感動したシーンは何かといえば、それは富山駅前のシャトルバスの行列に横浜FMと松本、両チームのサポーターが混在して並んでいたことである。当たり前といえば当たり前の話だが、両者の沿革を考えるならば、これはものすごい光景であると言わざるを得ない。横浜FMといえば、Jリーグ開幕初年度のオリジナルメンバー、いわゆる「オリジナル10」の一角を占め、なおかつ一度も2部に降格したことのない5チームのひとつ。Jリーグ以前の「日産自動車」の時代を含め、名門の誉れ高きクラブであることは、サッカーファンなら誰もが知るところであろう。

 その横浜FMの最近の黄金時代といえば、前日本代表監督の岡田武史氏が率いた03年から04年である。03年にはJ1ファーストステージとセカンドステージ(今となっては懐かしいフレーズだ)を制して総合優勝。そして04年のファーストステージも優勝。セカンドステージは浦和レッズに譲ったものの、その年のチャンピオンシップ(これまた懐かしいフレーズだ)を制し、見事に2連覇を達成した。

 まさに、その横浜FMの黄金時代だった04年、松本山雅のチャレンジはスタートしている。その年「NPO法人アルウィン・スポーツ・プロジェクト」が発足。翌年、クラブ名を山雅サッカークラブから松本山雅FCと改名し、本格的に将来のJクラブ参入を目指すこととなった。この時の松本のカテゴリーは北信越2部。それからわずか10年以内に、北信越1部、さらにはJFLを駆け抜けて「40番目のJクラブ」になることなど、当時の関係者の誰もが、まったく想像できなかったのではないか。

 そんな、沿革もカテゴリーもステータスもまったく異なる両者に、ある種の共感が生まれるきっかけを作ったのは言うまでもなく、今年8月4日に亡くなった松田直樹である。「ミスターマリノス」こと松田が、横浜FMに在籍したのは16シーズン(結局、この人にとってのJクラブは、この1チームのみとなってしまった)。一方、松田が松本山雅の一員としてプレーしたのは、わずかに15試合だ。J1リーグ出場385試合に比べると、圧倒的に少ない。それでも松本が「松田直樹が所属した最後のクラブであった」という、重い事実に変わりはない。

 沿革もカテゴリーもステータスもまったく異なる両者が、松田直樹というひとりのプレーヤーによって縁(えにし)が結ばれ、公式戦で相まみえることになったのは、まさにフットボールの神さまのさい配であった。と同時に、あらゆるカテゴリーを超えた対戦が実現する、天皇杯の素晴らしさについて、あらためて想いをめぐらせる次第である。

■小野のハットトリックで横浜FMが貫録勝ち

 この日の観客数は1万120人。ざっと見たところ、松本サポーターの数のほうが多いが、声量では横浜FMのサポーターも負けてはいない。ゴール裏のパフォーマンスは、ほぼ互角と見てよいだろう。では、ピッチ上での対決はどうだったか。この試合を中継、もしくはニュースでご覧になった方も多かっただろうから、得点経過を中心に振り返ることにしたい。

 松本は序盤から積極的に仕掛けていく。2トップの木島兄弟のうち、弟の徹也がスピード感溢れるドリブルからシュートを2本放つ。そのうちの1本は、元日本代表の中澤佑二を振り切るシーンから生まれた。「攻撃は最大の防御」と言われるが、この勢いで前半を0-0で折り返し、できるだけこう着状態を長引かせることができれば、格下の松本にも勝機は生まれよう。だが彼らは、今大会初の失点を食らうこととなる。

 前半28分、横浜FMは左サイドバックの金井貢史が、小野裕二とのパス交換から抜け出し、巧みな切り返しから低いクロスを供給。これを松本MF大橋正博がクリアするが、運悪く小野の足元に収まってしまう。小野は、ためらうことなく右足を振り抜き、弾道はそのまま松本のゴール右隅に突き刺さった。

 後半、横浜FMはさらに攻勢を強めていく。松本の守備陣も何とか身をていして堪えていたが、後半28分、横浜FMは渡邉千真、兵藤慎剛とパスをつなぎ、最後は小野がまたしても右足でネットを揺らして追加点。その2分後には、途中出場の森谷賢太郎の右からのクロスに、小野が頭で合わせてハットトリックを達成する。木村和司監督は「珍しく3点も取って。だったら、シーズン中に取っとけと(苦笑)」と苦言を呈したそうだが(今季は4得点)、来季の飛躍を予感させるような活躍ぶりに指揮官もご満悦の様子だった。

 小野は終了間際の42分にも、中村俊輔のゴールをアシスト。若き背番号10の大車輪の活躍で、J1の横浜FMが松本を4-0で一蹴する。Jクラブ2チームを撃破してきた松本の冒険は、ここ富山で終えんを迎えることとなった。

■ジャイアントキリングにはならなかったけれど

 ところでこの日の試合には、テレビ東京の「FOOT×BRAIN」というサッカー番組も取材に来ていた(ちなみに今回のテーマは「ジャイアントキリング」で、来年1月下旬に放映予定だという)。たまたまディレクターと面識があったので、今回の天皇杯における松本の躍進についてコメントを求められた。私の答えは3点。(1)Jクラブ相手にモチベーションが高く、失うものもなかったこと。(2)JFLでは規格外ともいえるサポーターに後押しされたこと。(3)ターンオーバーがうまく機能したこと。このうち(3)については、少し説明が必要だろう。Jクラブには、天皇杯にも「ベストメンバー規定」の縛りがあるが、JFLの松本にはそれが適応されない。ゆえに彼らは、チームをリーグ戦用と天皇杯用の2つに分け、それぞれが競い合いながら回していくことが可能となり、このことが今大会の躍進とJ2昇格につながった。

 もっとも、シーズン終了となった今、こうしたアドバンテージが横浜FMには通用するはずもなかった。松本に勝機があるとすれば、相手が「やらかす」ことを期待するしかない。実際、市立船橋高校にPK戦に持ち込まれたり(第83回大会)、JFLのザスパ草津にVゴール負けを喫したり(第84回大会)、今大会も初戦でカマタマーレ讃岐に苦戦したりと、このところの横浜FMは天皇杯で「やらかす」ことが少なくなかった。だが、この試合の彼らは、まったくもって格下の相手にすきを見せることはなかったのである。

 その理由を理解したのは、試合終了直後のことであった。この日、キャプテンマークを付けた中村が先頭に立ち、チーム全員が松本のゴール裏まで駆け寄って、深々と一礼したのである。格上の名門クラブのこの行為に、松本サポーターの誰もが面くらった。中には感極まって涙を流す者もいたくらいだ。直後に、松本のゴール裏から「F・マリノス!」というエールが発せられたことは言うまでもない。

 中村をはじめ、横浜FMの選手たちが松本のゴール裏に赴いたのは、もちろん「松田直樹」という存在があったからである。かつてのミスターマリノスが愛し、そして志半ばにして「最後のクラブ」となった松本山雅に対し、彼らはカテゴリーの枠を超えてリスペクトしていたのだと思う。であるからこそ、たとえ相手がJFLであっても、横浜FMは相手を侮ることなくしっかり準備し、そして全力で戦ったのである。逆にもし、昨年の天皇杯で両者が対戦していれば、もっとゲームが拮抗(きっこう)していた可能性はあったと思う。

 前述したとおり、横浜FMが黄金期のさなかにあった04年に、松本山雅の胎動は始まった。それから7年後、松田直樹の電撃的移籍が契機となり、これまでまったく接点のなかったふたつのクラブに縁が生まれ、そして今回初めて天皇杯という公式戦で相まみえることとなった。いつの日か松本がJ1に昇格し、横浜FMとトップリーグで対戦する時代が到来したなら、この日の試合は両者の「新たな物語の始まり」となるはずだ。試合そのものはワンサイドであったが、この試合を目撃したすべての人が「歴史の証人」となる可能性は十分にある。勝った横浜FMのサポーターはもちろん、敗れた松本のサポーターも、その一点においては胸を張ってよいだろう。

マリノスと山雅、新たな物語の始まり=天皇杯漫遊記2011
4回戦 横浜F・マリノス 4-0 松本山雅FC
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jleague/2011/text/201112180002-spnavi.html
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